シコウノラボ#2「考えることって、」

シコウノラボ
動画版シコウノラボ#2「考えることって、」
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【はじめに】〜前回の動画では〜

 このブログサイト、『シコウノラボ』は、動画と連動した「読者/視聴者巻き込み型思考実験」を目的としています。簡単に言うと、「みんなでいろんなこと考えていこうぜ!」ってことです。

 ブログ記事では、動画でお話しした内容を元に内容を掘り下げ、補足説明をしていくことによってりよ「思考」を深め、広げていきます。そうして僕が思考を展開することによって、皆さんにも独自に思考を展開していただければ幸いです。簡単に言うと、「僕はこう思うけどあなたはどう思う?」ってことです。

 僕の思考展開自体はそれが答えだ!と言うものではありませんので「へー、そんな考え方もあるのか」「ここはこうなんじゃない?」「なるほど、それは納得」など、好きなように捉えてもらって構いません。

 基本的に動画版、ブログ版、どちらを先に見ていただいても相互にわかるような形になっていますが、動画を先にご覧いただいた方が楽しめるかもしれません。

 さて、前回の第一回「疑問の共有のすゝめ」では、鈴木Dとの対談形式で「匿名性」と「疑問の共有」についてをお話ししました。

 今回の「考えることって、」では「常識」のお話から『シコウノラボ』の目的を辿りつつ、今なぜ「哲学」を必要としているのか、そしてそのやり方についてを少しお話ししていきます。

【シコウノラボの目的とは】〜様々な疑問をそれぞれが精査していくことの必要性〜

「常識」というものはこの『シコウノラボ』を続けていく上でとても重要な概念でもあります。

 目に見える「常識の変化」の例として、動画では「YouTube」をあげています。

 YouTubeを含む動画サービスというものは、映像の歴史として革新的なものでした。今では誰もがいつでもどこでも任意の動画を楽しむことができる。それはやはり「常識が変わった」と言えるレベルだと思います。

「今僕たちが常識と呼んでいるものが今後通用する常識なのかを今一度考え直す必要がある」

 動画内で僕はそう発言しています。

 現在、少しずつ「今までのやり方」では通用しなかったり、「今までのやり方」に従うことが困難、もしくはストレスになってきたりという人は少なからず存在しています。

 会社、学校、バイト先、果ては日常、生活する全ての局面において何かしらの違和感を感じて生きている人が多い。その生きづらさを緩和するためには何が必要なのか。

 もちろん、政治が変わる、経済が変わる、世界情勢が変わる、ということも必要ですがそれよりもまず、個人の意識を変えてみてはどうか、ということです。

 この『シコウノラボ』を通して実際に生きづらさが緩和されるかは分かりませんが、生きづらさのモヤモヤを自分や他人への攻撃に変えてしまうのはあまりにももったいない気がします。

 だからこそ、僕はこの『シコウノラボ』で心のモヤモヤ=疑問を共有して、疑問を攻撃に変えるのではなく、疑問を疑問として消化(昇華)して自分のためになることへと変換してみてはどうかと提案をしています。

 真理や理想という「誰にでもあてはまるもの」を目指すのではなく、あくまで「他人は他人なりの、自分は自分なりの答え、生き方」を見つける、そして認めること。それの第一歩が「疑問の共有」なのだと僕は考えます。

【哲学って何さ?】〜全人類は日常的に哲学をしている〜

「疑問の共有」を行うにあたって重要なことは、「全人類はすでに哲学をしている」ということ。そして、「印象や感情に任せて行動をすることをやめてみる」ということです。

 印象や感情で発言したり行動したりすることは、非常に「楽」なことです。

 考えなくてもいいので。

 しかしながら、その後は本当に「楽」だったか?

 喧嘩、嫌悪感、ストレス、苛立ち、怒り、人間関係の悪化、問題の未解決など、後処理がとても面倒だったことはいくらでもあると思います(自分が、でなくとも相手が、という場合もあります)。

 よく考えれば、少し立ち止まって考えてから発言、行動した方が、後々が非常に楽なんです。

 ここで極端な思考にならずにお付き合いください。これは、「我慢をしろ」という話ではないのです。

【「○○できた方がいいよね」という意識】〜適当なことが言える世の中、そして結論ありき、は議論ではない〜

 前述した「印象や感情に任せて行動をすることをやめてみる」と同時に意識したいことは、「○○できた方がいいよね」という意識。それは「間違いに寛容になる」ということでもあります。

 昨今のSNS社会は、ある種の正解がゴロゴロと転がっているがしかし個人にはその正解は知識として、思考として存在していない、ということがままあります。

 それは当たり前のことです。

 一人ひとりの知識量や経験には限度がありますが、SNSはいわば集合知。世界全体での知識や経験の坩堝に一石を投じることになります。

 常に誰かが間違い、常に誰かが正解(となり得るもの)を発信しています。

 言い換えれば常に誰もが間違える可能性があり、正解を導き出す可能性があるということです。

 その状況で「間違わないこと」が前提になるということの不条理さは、想像に堅くないでしょう。

「間違わないこと」というのは「できた方がいいこと」であって、当たり前ではないのです。

 そして、人が間違うことは「普通じゃないこと」ではなく「当たり前のこと」なのです。

 間違うにしても限度がありますが、少しの間違いを「馬鹿だ」「能力が低い」などと最上限の否定をすることは、自分の首を絞めることにもなります。

 とある神話では羽と罪の重さを秤にかけて羽よりも重ければ地獄へ送られる、という話があります。

 正直、どう考えても全員が地獄に行きそうだな、と思いませんか?

 他人の間違いを許さない集合体というものは、それすなわち、自分の間違いも許されないということ。極論で言うと、長い人生で一つの間違いも起こさない、もしくは間違いが見つからない人間しか何も言えず、何もできない集合体ということになります。

 いや、それ普通に無理じゃね?って思いますよね。

 ある程度適当なことは言えた方がいい。間違いは正せばいい。だけど間違いを正当化したり、正すつもりがないのはアウト。

 自分が招いた結果だろうが、不可抗力だろうが、失敗して立ち上がろうとした人間が再起できない。そんな世界にどんな希望があるでしょうか。

【『シコウノラボ』について】〜過去に学びながら未来に向けた現代における哲学的思考の実験室〜

 ここで少し閑話休題。『シコウノラボ』という名前についてのお話。

 動画連携型ブログを始めるにあたって、実は最初に計画していたのはブログのみでの構想でした。

 しかし、情報の伝達速度や密度、あとは単純に喋る方が得意だから、そして何しろ楽しそうだから、ということでYouTubeでの動画展開もすることとなりました(すでに動画の方がメインになりつつありますが……笑)。

 そんな中、タイトルというのは重要です。

 何しろ「看板」ですから。

 ということで頭を捻って捻って捻り出したのが、『シコウノ(思考の)ラボ(実験室)』でした。

 とにかく考えることをしていくブログであり、YouTubeチャンネルである、ということでこの名前に決まったわけですが、「シコウ」にはいろんな感じが当てはまります。

 思考、施工、試行、嗜好、志向、指向、私考、そして、至高。

 いろんな角度から物事を考え、試し、最終的に「至高」へと到る。それがこの『シコウノラボ』の最終目的です。

 そして、動画でも話していますが、実はサブタイトルがありまして、それが

 「過去に学びながら未来に向けた現代における哲学的思考の実験室」というものです。

【過去・現在・未来の捉え方】〜サブタイトルの着想は北欧神話におけるノルンの女神三姉妹から〜

 前回のブログで「考えることが好きで、中学生頃からその傾向が強くなった」と書きました。

 そんな「考えること」が好きになっていった過程で出会ったのが「神話」でした。

 正直な話、神話を好きになったきっかけは「真・女神転生Ⅱ」というスーパーファミコンのゲームだったと記憶しています。当時大人気だったドラクエやファイナルファンタジーと違い、小中学生がやるにはだいぶ骨太なゲームで、プレイ自体は前半あたりで諦めたほどの難易度のRPGでした。

 しかし、クリアできずともゲーム内に登場するアクマと呼ばれるモンスターの数々は当時の僕を魅了するに十分でした。

 最序盤で主人公を助けてくれる「ケルベロス」、完全にプレイを諦めた時点でのボス、「トール」、そして全くクリアできる気はしなかったけれど、その先の世界を見せてくれた攻略本からアクマの数々は神話や民間伝承が元になっていることを知りました。

 そこからいろんな文献を漁り、各地の神話にのめり込んでいった過去があります(並行して今でいうライトノベルのはしり、のような小説も読み漁っており、そこでも神話がモチーフのものが多かった気がします)。

 そんな中、世界観が一番好みだったのが「北欧神話」です。

 動画内でもお話ししていますが、『シコウノラボ』のサブタイトル、というかコンセプトのキャッチコピーである「過去に学びながら未来に向けた現代における哲学的思考の実験室」というのはこの「北欧神話」におけるとある女神三姉妹から来ています。

 過去の女神ウルド、現在の女神ベルダンディ、未来の女神スクルド

 もしかしたら同年代の方達だと漫画(アニメ)『ああっ女神様っ/藤島康介』にメイン格で登場していたのでそのイメージが強いかもしれません。

 中には鈴木さんのように『パズドラ』や『モンスト』で知った人もいるかもしれませんね。

 彼女ら三姉妹の詳しいお話は下記のリンクをご参考ください。

「ノルン、運命を司る北欧神話の女神たち/世界の神話伝説」
https://sinwa-densetu.com/germane/2720/
「運も寿命もノルン次第? 女神があやつる運命の糸/Phantaporta」
https://www.phantaporta.com/2018/02/blog-post16.html
「ノルン/wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ノルン

【意思決定は全てその人次第】〜行動や考え方が変わるのは悪いことじゃない〜

 僕がずっと思っていることの一つ、それは

○「意思の決定」や「行動の決定」は本人次第であり、他の誰もがコントロールできず、かつ、コントロールできるものであってはならない。

 もう一つは

○過去Aだと思っていた、考えていたことが、なんらかの結果でBになることは十分にあり得ることで、反省と申告をすることで「考え方が変わったこと」を非難されることは理不尽である。

 ということです。

 最近のネット社会ではこの二つが守られずにいることで無利益な炎上や誹謗中傷が増えているように感じます。

 ある程度のことはごめんなさいで許されなければ、極端に言えば、誰も許さず誰も許されない世界になるでしょう。

 許すということは、決して負けることではなく、「善くなる」ことのステップにすぎないのです。

【結局「哲学」って何さ?】〜「哲学」は全ての学問のお父さん〜

 結局のところ「哲学」というのは、何かを知りたいと思う気持ちや、善く生きたいと願う気持ち、疑問を解消したいと思う気持ちなど、誰もが持っている気持ちを行動に移すことです。

 名前が厳ついので高尚なことのように、難しいことのように感じますが平たく言うとそういうことです。

 現在の学問のほぼ全ての根元は「知識欲」です。

「星ってなんだ?」
「人間ってなんだ?」
「生きるってなんだ?」

 そんな壮大なことから、

「赤いってどう言うことだ?」
「歩くのだるいからどうやったら楽になる?」
「遠くの人と連絡取りたい」

 そんな日常の疑問や、もうちょっと便利になりたい。そんなことの積み重ねが「学問」なのです。

 そう。皆さんはすでに「哲学」をしています。

 そんな日常的な「哲学」が、役に立つようになるには、ちょっとした努力が必要なだけなのです。

次回予告と記事紹介

 さて、今回も取り止めもなくいろんな話をお送りしましたがいかがでしたでしょうか。

 新型コロナの影響による多忙期間や、iMacの修理などが重なりなかなか更新できませんでしたがやっと環境も整いそうですのでボチボチと更新していくつもりです。

 今後はこのブログの更新よりも動画の更新を主に行っていく予定ですが、文字で読みたい方もいらっしゃると思いますので動画よりも少し更新頻度を下げてお送りすることとなりそうですが、のんびりと楽しんで行ってください。

 そして、この「シコウノラボ」にインスパイアされて記事を書いてくれた方がおります。

匿名について思う ~シコウノトウギジョウ01~

文責/大木 佳章

https://tokinodrop.tokyo/shikounoarena01/

https://tokinodrop.tokyo/shikounoarena01/

 匿名について、「シコウノラボ」とは少し違った思考展開をされていますのでぜひ合わせて一読ください。

それでは。

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